なぜお茶は「七分目」しか注がないのか?
──そこに込められた茶の心
こんにちは。
今回は中国茶文化のなかでも、とても奥深い礼儀作法のお話をお届けします。
それは「お茶は七分目までしか注がない」ということ。
実はこれは、茶人なら誰もが知っている基本中の基本。
ほんの小さな所作のように見えて、そこには人との関係を大切にする“大きな心”が込められています。

お茶は「七分」、残り三分は“思いやり”
お茶をたっぷり、なみなみと注ぐと、一見「おもてなし」のように感じるかもしれません。
でも中国茶席では、それは逆に“失礼”とされるのです。
その理由はとてもシンプルであり、かつ深い。
お茶を七分までにとどめるのは、相手への思いやりと**間(ま)**を大切にする文化から来ています。
では、どうして満杯ではいけないのでしょうか?

🌿 満杯にしない4つの理由
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熱くて持ちづらい
湯の量が多いと、茶杯が熱くなりすぎて手に持てなくなってしまいます。 -
こぼれやすく、気まずい
一杯すぎると、ちょっとした動きでこぼれてしまい、相手を困らせてしまいます。 -
香りと色が楽しめない
お茶を味わう楽しみは、香りや色にもあります。なみなみに注ぐと、それがかき消されてしまうのです。 -
一気に飲まされる感じがして、心地よくない
大量のお茶を一気に飲むのは、もはや「味わう」ではなく「消化する」行為に。お茶本来の“ゆったり楽しむ”時間が失われてしまいます。
だからこそ、「七分目」。
残りの三分は、相手のために空けておく余白。
この余白にこそ、心の距離感やもてなしの気持ちが表れるのです。

「酒は満杯、お茶は七分」──文化の違い
中国にはこんな言葉があります。
酒は満杯で敬意を表し、茶は満杯にすると相手を不快にさせる。
——「酒満敬人,茶満欺人」
同じ飲み物でも、酒と茶ではもてなし方がまったく異なるのが、中国の面白いところ。
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酒は豪気の象徴:
お酒を注ぐときはなみなみと。これは「あなたを敬っていますよ」というサイン。酒席では「乾杯!兄弟よ!」なんて盛り上がるのがお約束です。 -
お茶は和の象徴:
お茶を満杯にするのは「気が利かない」「早く帰ってほしい」のサインとも取られてしまいます。熱くて持てず、こぼれやすい満杯の茶杯は、むしろ相手を遠ざけてしまうのです。
お酒とお茶、それぞれの文化の違いには、人との付き合い方の哲学が現れています。

茶道の所作は、生き方そのもの
お茶を学ぶことは、人生を学ぶこと。
一つひとつの所作には、「他者を思いやる心」が込められています。
たとえば、お茶を注ぐ動作一つでも、相手が持ちやすいように、香りが引き立つようにと配慮します。それが「茶道の道」であり、「人としての道」。
お茶の文化は、茶席の中だけにとどまりません。
私たちの日常のふるまいや、人との関係に、自然と生かされていくものです。
最後に
お茶を七分までにとどめる理由――それは「ちょうど良い距離感」「押し付けない優しさ」「思いやりの余白」。
満たしすぎないからこそ、感じられる心地よさがあります。
忙しい日々のなかでこそ、ほんの一杯のお茶に心を込めてみませんか?
きっとそこに、忘れかけていた“静けさ”と“温かさ”が見つかるはずです。
記事協力:日中雅文化交流会
原文出典:「茶的故事」(※掲載元に感謝申し上げます)